言葉で表現する難しさ

頭痛い

それにしても情報多い

この現代は恐ろしい

それなりに欲しい知りたい情報があちらこちらに転がっている

それらを忘れないうちに拾おうとする

さっきまで外でイヤホンをして30分ランニングしていた

そのときラジオで流れてた曲…とそれを紹介してた美人そうな女、ふと思いついた考えが2つ3つ…

ネットで検索してより具体的な情報を得る

その具体的な情報を得たサイトで、またそれなりに欲しい知りたい情報が転がっている

まったくキリがない

それなのにスマホ片手にツイッターで情報を得ている

そして飽きてきた今、このブログを通じてなんとなく頭の中で漂った2,3の考えを簡単に書こうと思っている

 

自分はそれなりに言葉は扱えても、きっとこれからもお金を生み出せるほどには言葉を上手に操れはしないだろうということ

将来的にも言葉の表現で稼げる可能性は0だということ

仮にうまく組み立てれたとしてもまぐれに過ぎない

1か月に1回あるかないかの頭が冴えてるときの奇跡だ

決めつけは良くないが、文章は組み立てているとき、頻繁に読み返して言葉を連ねている、何回も修正するし、全然つじつま合ってないこともある、結局何が言いたいのかわからなくなることなんてざらで

10秒前に思い付いた気に入った言葉も10秒後消えてなくなっていることもある

だからとにかく得意ではないのだ

でも好きだから、あきらめずに頑張ってこれからも言葉を連ねたい

もし、ほんとにもしも言葉を使った表現が上手ならば俺は今かなり幸せに生きてるんじゃないかなと思う

けどそれと引き換えに何かを失ってるのがこの宇宙だと思ってる

仮に言葉はすらすら出ようになっても、手先が不器用で絵が下手になったりとかね

結局言いたいことは

言葉を生み出すのが苦手だとしても、難しくても、誰にも伝わらなくても、世界でただ一人の考えや想いを言葉で表現しないのは愚かだ

と走りながら言葉について漠然と考えていた

一日で辞めたバイトの話

過去20個以上のバイトの中でもワースト3に入る過酷すぎたステーキ屋のキッチンスタッフ。

ハード過ぎる仕事内容と長年やってそうなベテランのおっさんが原因で辞めた。
そのおっさんは言い回しも態度も最初からうざくて警戒してた。

まず始めに3分くらい店長に説明されてたった一人で洗い場に入る。

わかるわけねーと思いながらも自分なりに作業を進める。

そして例のベテランのおっさんがやって来てあれやこれやと不親切で曖昧な指示をしてくるも、あまりにも俺ができないのを見て最終的に黙って俺の代わりに洗い場の作業をし始める。

その日の店自体はそんな忙しい雰囲気じゃなかったし教えてくれてもいいのにと思ったが、きっと目で見て覚えろって意味だったのだと勝手に想像しとく。

途中で親切な若い兄ちゃんが入ってきて指導役として自分を見てくれることに。
そんな中終盤になってそのおっさんが突然「内緒だぞ」といって煮物の料理を自分達に差し出してきた。
自分達の周りにも他のスタッフがいて、そのスタッフらは喜んでる素振りをしときながらほとんど皆、口にしない。

そりゃそうだ、洗い場で手も汚いのにスプーンもフォークもない+mazusou 

かなり厳しい職場だったので仕事中に食べてるのが見つかったらマズいことになるのでそのおっさんは食器を用意しなかったのだと思う。

周りに「遠慮しないで食べな」と言われたが「お腹空いてないんで」とだけ言ってひと口も食べなかった。

先輩バイトが頑張って素手で食べてるのを見て笑いそうなる。

結局、残ったその煮物はゴミ箱いき。

多分、おっさんはおっさんでただ口下手なだけで、その賄はまだ職場に慣れてない自分に対する一種のコミュニケーションとしての優しさの意思表示みたいなものだったのかもしれない。

けれどそういう昔から良しとされてきた風潮、真心みたいのが生理的に無理な自分にとっては辞める最後の一手に十分だった。

夢日記2

その人とは体育館っぽいところで初めて会う。

合唱の練習や体育や劇の練習をする。

体育のときその人と何気ない会話をする。

どうやら仲が良いらしい。

卒業式。

最初は眩しかった。

と思ったらすぐに真っ暗になる。

ステージだけがまだ明るく、俺含む全クラスは客席側は暗い。

その人は隣に座っている。体育座りではなかったので椅子があったと思う。

体育館の中にいるみんなで歌う。

歌のタイミングでみんな立ち、自分もつられて立つ。

肩が当たるくらい隣同士は近い。

ぎゅうぎゅうになりながら歌い続ける。

この歌ってる時もその人の耳の後ろに自分の口があってとにかく距離が近い。

でもそれが嬉しいし楽しい。

 


風変わりなコンビニでその人とまた出会う。

店員さんが1人、僕たちは6、7人の男女のグループ。

小さいお店の奥の段になっているところを椅子代わりにしみんなしてくつろぐ。店員さんと少し仲良くなる。

 


そしてそのグループの中にいるその人の顔をそこではっきり認識する。

完璧ではない綺麗さだった。

自分より明らかに年上で肌のわずかに光るラメが魅力的で髪は茶色で綺麗。

若さがある綺麗さではない。

化粧の上手さと髪も手入れが施された、人工的な綺麗さ。

自分よりは背が低く、体型はよくわからない。

もう1人その人の女友達も一緒にいる。

たばこを吸う彼女。

すごく美味しそうにたばこを吸うのでこっちも吸いたくなる。

彼女のたばこをとって目の前までもってくるも、なんとか吸わなかった。

この時点で彼氏彼女の関係みたいになる。

突然帰り道になる。

どうするこれからと僕は思う。

が2人で家に帰ることになる。

あれ同棲してる?

昨日引っ越し作業が17時くらいに終わったのだとエレベーターで告げられる。

僕は時計を見ながら「ちょうど今くらいだ」と言ったので夕方だろうか。

控えめな夕焼けが良い。

 家の中に入っだ瞬間、新婚生活のような雰囲気に包まれる。

部屋の中はすごく綺麗で新しい。

「わかんないことだらけだけど、ほんとこれから頑張ろ」と廊下を歩きながら服を脱ぎながら言う。

エアコンが既に効いてて涼しい。

その人はリビングの窓際のところにいる。

僕は「長生きしたいと思う?」「最低でも何歳まで生きたいと思う?」と言いかける。

僕「君って長生きしなさそうだよね」

彼女「そんな感じする」

このやりとりは何故か頭の中で行われる。

 


最初はもっと若い子のほうがいいかもとか、若干の迷いがあったが、この時点では幸せの絶頂みたいな感じになっていて、長生きしなさそうな綺麗な彼女を絶対大切にする、いっぱいお金も稼ぐと誓い、夢は終わる。

夢日記1

母親と変な会話をする。

なぜか母が少し病んでいる。

生活保護の関係者?が家の周りを掃除しろとうるさいらしい。

なんかの話の流れで、自分は母に昔の人はすごいと言う、それに比べて今の子は俺も含めて甘やかされているとか自分は言い出す。

 


海の街的なところででかいゴンドラ的な家を探す。

家でマリファナ吸う。窓を全開にする。外に登校中の小学生か幼稚園児の集団がいて、マンションのところにはスーツをきたり私服の警察らしきものが数名いて1人がこっちを見ていて、なぜか俺はそいつにカメラ(スマホ)を向けて写真をとる。 

 


学校の教室にいる。

小学校、中学校、高校のが集まったような教室だ。

俺は遊ぶ。すぐにしぼむ風船。1人教室の真ん中で芸をする。股から変な煌びやかな大人の頭くらいの置物のようなものを一瞬で出して見せたが周りの反応はまあまあといったところ、後ろでやれ(見えやすいように)と俺は言いそうになる。

俺は教室の後ろでサッカーボールと戯れる。

廊下に今井(小中の同級)がいてボールをやる。

そんな中あのYUIがなぜかいて、なぜか紙に巻いたマリファナを持ってる。

色々みんなやりとりが終わって席に着く。

YUIを気にしながらもYUIの隣の席に着席する。席は1番後ろの真ん中のほうから右に数えて2つ目らへんの席にYUI、そして俺が隣に続く。ふと横を見るとYUIがタバコかマリファナかを吸っている。とても苦しそうに吸うのでおれはもうやめとけと言いそのブツを持ってる手を掴んでそのブツを灰皿でもみ消す。

YUIは若干おかしくなって一瞬変な声を上げた。それを先生が察知してこちらに近づいてくる。

ここで何故か灰皿は消えている。

意味不明だが先生は「鍵は?」とYUIに詰めよる。

YUIは必死になって拒否のポーズをするおれにも先生は絡んできて、急にタバコをもっていないか検査しだす。

なぜかくつを脱がそうとしてるその間に調べられるであろうカバンの中からタバコとライターを外に放り出す。

先生は何かに気づいたように立ち上がるとバレまいと俺も先生の前に立ちふさがる。

俺はやばいとかんじ放り投げたタバコとライターを拾って教室から出て行く。

階段を上がってくる教員たち数十名に出くわすが上のほうを飛んで通り抜ける。

なんとか1階について隠し場所を探してるところで終了。

受け取ることに飽きた

ためになりそうな本を読んだりSFチックな漫画読んだり感動的な映画見たり大好きなアニメ見たりyoutubeで何げない動画見たり、今の時代少ないお金でもしくは無料でネットやら漫画喫茶やら本屋やらで情報を手軽に受け取れるようになった。

苦労しなくともいつでも受け取れる環境にいて、時間さえあればある程度ほしい笑いも感動も学びも手に入る。

なんか飽きてきた。

25年生きてたぶん、大体の基本的な物語とか人の体験談とか、実体験以外のモノはなんか受け取った気がする。

日々感じるいろいろことに慣れる、いい意味でも悪い意味でも。

受け取るモノに対して新鮮味がなくなっていく。

あたりまえだけど子どもの感受性はもうない。それでも同世代の中では子どもっぽい考えなんだろうけど。

どうしたって感受性は衰えるし、それでいて飽きやすくなる(自分の場合)

そして受動人間の自分がそんな受け取ることに飽きてしまってやることがないので得意でない(好きかどうかもわからない)文章を書いている。

大人になると自然とこういうなにか生産しなきゃみたいな感覚に陥るのだろうか。

自分の場合仕事をしていないから普通の社会人よりなにかしなくちゃ感は強くなると思う。

単純な話考える時間はたくさんあるし。

 いろいろ本とかSNSで呟いてる人とかの文章を見て読んだりすると時にはすごく焦って、またある時には焦ったってどうしようもないよなーとも逆におもったりする。

興味あること、合いそうなこと、楽しそうな好きなこと向いてそうなこと得意そうなこと色々探して調べたり情報を集める。

けどちょっと違うかも、自分じゃ無理かもな、また続かないかもな、向いてないかもなって

行動もせずに諦める。

この繰り返し。

お金を稼ぐってことを目的に考えると自分なんかじゃできないかもと思ってしまう。

たぶんみんなそうなんだろう。

不安のなかでそれでも好きだから続けていったり、あるいはいい意味で諦めがついて好きでもないけど嫌いでもない仕事に就いてって・・・どうにか生活できるまでとりあえずやってみてどっかのタイミングで踏ん張って頑張るしかないんだよねきっと。

日記1

ニートになって1ヶ月、とにかく時間の進みが早い。

その間主にネットサーフィン、youtube、漫画、本を見ていた。

よくネットで見るようなニートさいこーー!!とかいってる人にはなれなかった。

 

普通に暇でつまらない。

 

使える金が限られてて、友人も少ない(ほとんどいない)、恋人もいない、これといった趣味もない、そんな人間がニートになったからといって楽しめるわけなかった。今思えば

 

最近ネガティブな言葉がよく出てくる。

そしてそのネガティブな自分の内なる言葉、思考に強く気持ちが引っ張られて落ち込むことが多くなった。

昔から自分は他人に影響されやすい性格だ。

他人でなくても見たもの、聞いたもの、嗅いだもの

感じたもの全般に影響される。

今もネガティブなことを無意識に書こうとして

これはやばい、メンタル持ってかれるってなってやめた。

そうなると書くことがなくなる。悲しいことに

今日読んだ本について思ったことを書きたかったけど、まとめられるほど言語化できそうにないし、そもそも覚えてない。

人に頼る

人に頼れない。

悩みというわけではない、ただ苦手だ。

色々思い返してみた。

バイトのときのことや友人、学校の先生、恋人、家族。

相談したり頼ったことは少なからずあったと思う。

でも何か救われたとか助けられたとかそんな記憶は残ってない。

どちらかといえば相談をするより聞くほうが多かった。

そっちのほうが面倒じゃないし、おせっかいな性格もあって嫌いじゃなかったし、自分の粗末な語彙によって作られる言葉を聞かせて相手にしょうもない返答をさせるのが目に見えて話したくなかった。

「ああ…こんなこと話さなきゃよかった」という後悔を何度か味わってしまった。あまり好きな言葉じゃないけどいわゆるトラウマだろう。

自分にももちろん問題はあるし、言葉にも限界はあるとも思う。

 

おれのかんがえてることは

言葉では言い表せれないほど

むずかしいんだよ

 

ばかだ。

きっと単純なことさ。

絶対単純だ、考えすぎ、気にしすぎ、ただのヒステリック。

 

いやおれの考えてることは死ぬほど複雑で尊いものなんだよ!

 

たぶん気のせいだ、実際は複雑でもなんでもない。

脳はすごく単純でバカ野郎だ。

例えば、毎月100万振り込まれるとしよう。

それだけのことだ。

おれの悩みや不安なんてそんなことですべて解決される。

 

だから仮に今、悩んでることを誰かに話したとしてその返ってきた答えがたとえしょうもないものでも、それはきっと間違ってないのだろう。

 

おしゃべりな人に対して疑問に思っていた。

他人になぜそうも自分のことをしゃべりたがるのか。

たとえ雄弁でも他人に自分のなにをわかってもらえるというのか。

もしも心からわかってくれる人がまわりにいてその人限定で自分のことを話すのならわかる。

自分はある心理テストで「あなたと気が合う人」を調べたところ1000人中1人という結果だった。

(たしか平均は100人中1人だったと思う)

とにかく自分の気の合う人間は少ないらしい。

そんなおれでも心からこいつはおれのことわかってくれるって人が目の前にいて友人という関係なら確かにおしゃべりになるだろう。

だけどおしゃべりの人間はたぶん、おそらくそうじゃない人とでも、おしゃべりな人はおしゃべりになる。

不思議だ。たぶん自分とはまったく異なった性質の人間だ。

偏見だが、彼らはきっと相手が気の合う100人中の1人じゃなくとも悩み、怒り、喜びなんかを共有し、雑談をするのだろう。

それで少しでも気が晴れるなら、少しでも喜びを感じるならすごく幸せなことだと思う。

彼らにとって他人はどちらかといえば敵ではなく味方に見えているはず。

そんな味方がまわりにいたら頼りたいときは頼る。

最初は下手でも何回か頼めば人に頼るということを覚える。

母国語を自然に話せるようになったように覚える。

たぶんこの世界でうまく賢く楽しく生きていくにはかかせないもの。

お金では買えないもの。

それをおれはいままでずっとやってこなかった。覚えてこなかった。逃げてきた。

相手が迷惑だと思って

相手の顔色が変わるのが怖くて

どんな反応されるのかわからなくて怖くて

今になって本当に愚かだと思う。

わからないのにわからないでいるほうがよっぽど迷惑だというのに。

 

 

人に頼ろう、そして人に頼ってもらえるような存在になろう。