人に頼る

人に頼れない。

悩みというわけではない、ただ苦手だ。

色々思い返してみた。

バイトのときのことや友人、学校の先生、恋人、家族。

相談したり頼ったことは少なからずあったと思う。

でも何か救われたとか助けられたとかそんな記憶は残ってない。

どちらかといえば相談をするより聞くほうが多かった。

そっちのほうが面倒じゃないし、おせっかいな性格もあって嫌いじゃなかったし、自分の粗末な語彙によって作られる言葉を聞かせて相手にしょうもない返答をさせるのが目に見えて話したくなかった。

「ああ…こんなこと話さなきゃよかった」という後悔を何度か味わってしまった。あまり好きな言葉じゃないけどいわゆるトラウマだろう。

自分にももちろん問題はあるし、言葉にも限界はあるとも思う。

 

おれのかんがえてることは

言葉では言い表せれないほど

むずかしいんだよ

 

ばかだ。

きっと単純なことさ。

絶対単純だ、考えすぎ、気にしすぎ、ただのヒステリック。

 

いやおれの考えてることは死ぬほど複雑で尊いものなんだよ!

 

たぶん気のせいだ、実際は複雑でもなんでもない。

脳はすごく単純でバカ野郎だ。

例えば、毎月100万振り込まれるとしよう。

それだけのことだ。

おれの悩みや不安なんてそんなことですべて解決される。

 

だから仮に今、悩んでることを誰かに話したとしてその返ってきた答えがたとえしょうもないものでも、それはきっと間違ってないのだろう。

 

おしゃべりな人に対して疑問に思っていた。

他人になぜそうも自分のことをしゃべりたがるのか。

たとえ雄弁でも他人に自分のなにをわかってもらえるというのか。

もしも心からわかってくれる人がまわりにいてその人限定で自分のことを話すのならわかる。

自分はある心理テストで「あなたと気が合う人」を調べたところ1000人中1人という結果だった。

(たしか平均は100人中1人だったと思う)

とにかく自分の気の合う人間は少ないらしい。

そんなおれでも心からこいつはおれのことわかってくれるって人が目の前にいて友人という関係なら確かにおしゃべりになるだろう。

だけどおしゃべりの人間はたぶん、おそらくそうじゃない人とでも、おしゃべりな人はおしゃべりになる。

不思議だ。たぶん自分とはまったく異なった性質の人間だ。

偏見だが、彼らはきっと相手が気の合う100人中の1人じゃなくとも悩み、怒り、喜びなんかを共有し、雑談をするのだろう。

それで少しでも気が晴れるなら、少しでも喜びを感じるならすごく幸せなことだと思う。

彼らにとって他人はどちらかといえば敵ではなく味方に見えているはず。

そんな味方がまわりにいたら頼りたいときは頼る。

最初は下手でも何回か頼めば人に頼るということを覚える。

母国語を自然に話せるようになったように覚える。

たぶんこの世界でうまく賢く楽しく生きていくにはかかせないもの。

お金では買えないもの。

それをおれはいままでずっとやってこなかった。覚えてこなかった。逃げてきた。

相手が迷惑だと思って

相手の顔色が変わるのが怖くて

どんな反応されるのかわからなくて怖くて

今になって本当に愚かだと思う。

わからないのにわからないでいるほうがよっぽど迷惑だというのに。

 

 

人に頼ろう、そして人に頼ってもらえるような存在になろう。