人と関わるということ

自分にとって一番苦手なことかもしれない。

できるだけ避けたいことの一つに、苦手な人とコミュニケーションをとるということが自分の中である。

ほとんどの人間がそうだろう。だけど苦手だからと言って避けていては大人としてこの社会を生き抜いていけない。

そんな子どもみたいなわがままが通用するほど社会は甘くないし、我慢するほうが合理的でめんどくさくなくて済む。数十年生きて、それは感覚的にわかる。

だが自分の場合、頭でわかっていても体が拒絶してしまう。具体的に言うと顔が引きつるし声のトーンがあからさまに暗くなる。

そこは慣れとか、技術面でなんとかしようと思えばなんとかなるのだろうけど、そこまでする必要があるのかと捻くれる。

そう思うたびに自分は一生大人になれないんだろうかと絶望する。

要領が悪い、世渡りが下手、社交辞令ができない。

もうこれはコンプレックス。

アドラー的にいうと大人になりたくないという目的があって、子供の態度をとる。子どもから大人に変化する勇気がないのだ。

 

数日前、夜行バスに乗る機会があった。

その夜行バスを待っている間に並んでいる人間を見てふと思った。

 

(こいつらと関りを持ちたくないな)

 

もし仮に職場がそいつらと一緒で関わらなきゃいけないと想定したとき、その職場に自分は耐えられないだろうなと。

おれは今現在孤独を感じてる、紛れもなくさみしいはず。

それなのに一人を選ぶだろう。

話したことも顔もちゃんと見ちゃいないのに、そんなことを漠然と思った。

これもまた子どもみたいな妄想だなーと今書いてて思う。

ほとんど何も知らない相手をただなんとなく否定して関りを拒む愚か者だ。

歳を取るほどこのなんとなく関わりたくなと思うような人間が増える感覚、ちょっとやばいなと。

20代になるまでなかった、多少あったにしてもここまでひどくはなかった。

思うに、自分がそいつらに徐々に近づいてってるからだろうか。同族嫌悪…

同族嫌悪という感覚も22歳の時に初めて自分に似ている後輩と関わって実感したものだった。

それまでは自分と似てるほど気が合うもんだと思ってたがどうやら全然違うらしい。

 

関わりたい人とだけ関われればいいのに

 

利害関係を一切無視して、ただ関わりたい。

これがこのネットが普及した世界で、何故こうも難しいのだろうね。