わからない

どうなれば自分は幸せになれるのか

どうすれば幸せを感じれるのか

どうすれば今のこの気持ちを変えられるのか

 

どうすれば・・・

 

ここ最近頭の中でよくこの言葉が出てくる

 

おれどうすればいい

 

何をかはわからない

 

しいて言うなら全てに対してだ

 

全てに対してどうすればいい

 

なにをどうすればなにになれるのか

小さいことから大きなことまで

 

なにも答えが出ない

 

抽象的すぎてわからない

自分でもそう思うくらい、ふわふわしたもの

 

時間が解決してくれるようなことにも思えるし、実際そうだろう

若さがあってお金がない自分には時間を投資するしか解決できない問題

 

人と関わるということ

自分にとって一番苦手なことかもしれない。

できるだけ避けたいことの一つに、苦手な人とコミュニケーションをとるということが自分の中である。

ほとんどの人間がそうだろう。だけど苦手だからと言って避けていては大人としてこの社会を生き抜いていけない。

そんな子どもみたいなわがままが通用するほど社会は甘くないし、我慢するほうが合理的でめんどくさくなくて済む。数十年生きて、それは感覚的にわかる。

だが自分の場合、頭でわかっていても体が拒絶してしまう。具体的に言うと顔が引きつるし声のトーンがあからさまに暗くなる。

そこは慣れとか、技術面でなんとかしようと思えばなんとかなるのだろうけど、そこまでする必要があるのかと捻くれる。

そう思うたびに自分は一生大人になれないんだろうかと絶望する。

要領が悪い、世渡りが下手、社交辞令ができない。

もうこれはコンプレックス。

アドラー的にいうと大人になりたくないという目的があって、子供の態度をとる。子どもから大人に変化する勇気がないのだ。

 

数日前、夜行バスに乗る機会があった。

その夜行バスを待っている間に並んでいる人間を見てふと思った。

 

(こいつらと関りを持ちたくないな)

 

もし仮に職場がそいつらと一緒で関わらなきゃいけないと想定したとき、その職場に自分は耐えられないだろうなと。

おれは今現在孤独を感じてる、紛れもなくさみしいはず。

それなのに一人を選ぶだろう。

話したことも顔もちゃんと見ちゃいないのに、そんなことを漠然と思った。

これもまた子どもみたいな妄想だなーと今書いてて思う。

ほとんど何も知らない相手をただなんとなく否定して関りを拒む愚か者だ。

歳を取るほどこのなんとなく関わりたくなと思うような人間が増える感覚、ちょっとやばいなと。

20代になるまでなかった、多少あったにしてもここまでひどくはなかった。

思うに、自分がそいつらに徐々に近づいてってるからだろうか。同族嫌悪…

同族嫌悪という感覚も22歳の時に初めて自分に似ている後輩と関わって実感したものだった。

それまでは自分と似てるほど気が合うもんだと思ってたがどうやら全然違うらしい。

 

関わりたい人とだけ関われればいいのに

 

利害関係を一切無視して、ただ関わりたい。

これがこのネットが普及した世界で、何故こうも難しいのだろうね。

 

 

やりたいことが見つからない

よく若者が言う言葉で、やりたいことや仕事が見つからない、わからないという事をネットで見たり聞いたりすることが多い。

自分もそのうちの一人で、やりたいことがわからない。

なにかしなくちゃ、行動しなきゃ、と焦る日々。

ためしになにかやってみるものの序盤で「向いてないかも」とすぐに手を引く。

行動もせず頭の中だけで終わらせることが増えた。

というのも、小さな失敗を俺はこの7~8年間で繰り返してきた。

失敗というか「続かなかった」「めんどくさくなった」のほうが正しいかもしれない。

完結にいうともう何をしたらいいのかわからなくなってきた。

あまりにも躓きすぎた。自分にとっては。

たぶん自分以外の人からしたら大したことないよと言われるくらいの挫折だろうけど、あくまで自分にとっては今が今まで生きてきた人生の中でもっとも地獄であることは間違いない。

退屈という地獄。

人間の脳は退屈を一番に嫌うというのを聞いたことがある。

実際そうなのだろうと思う。

的外れなことを言うようだが、紛争地域の人々、貧困層の国の人

に比べて豊かで治安の良い日本のほうが自死が多いのはやはり「退屈」が少なからず関係していることは言うまでもないと思う。

日本にいればなんでもできるし、なんにでもなれる、よく言われる言葉だ。ほかの貧しい国と違って確かにそうなのだろう。

ただ日本の空気はずっしりと重い。実際になんでもするひとや、なんにでもなれることなんて、ほぼ不可能だ。

無理じゃない、けど現実的に難しすぎる。

なにか新しいことをするとき、何か新しい何者かになろうとしたときに出迎えてくる重い空気。マイナスな、ネガティブな、否定的な空気を何日、何か月、何年間と吸い続けることに耐えられる人間はごく一部である。

やりたいことが見つからないとはなにかやりたいことを見つけたいということの裏返しでもある、自分はそうだし、そう思ってる人が多いとは思う。

よくITの社長なんかは好きなことにとことん熱中しろ、好きなことを仕事にしろという。

暇な僕らはそれを真に受け、本当に自分が好きなものを必死で探そうとする。

だがほとんどの人が見つからない。

なんとなくわかったことは「その作業が一番難しい」ってことだ。

つまり自分でもわからない自分が熱中できるもの好きなものを見つける作業こそが一番の課題なんだけど、彼ら成功者はその探し方に関してはスルーだ。

まあ好きなものなんて人それぞれだからあたりまえっちゃあたりまえなんだが。

結局探し物は自分で見つけなくてはいけないということだ。

 

終わってる人

昨日、東京から帰ってきて実家の名古屋に帰ってきた。

結局東京で何もすることなく4日間過ごした。

ただなんか今の状況を変えたい、環境を変えたい。

それだけの理由で。

それと環境が変われば何か変わるかもしれない。

何かあるかもしれない。

そんな曖昧な考えで東京に行った。

思えば昔から自分は考えがふわふわした状態で行動することが多かった。

だからあとで後悔することや失敗したなーってことが人より多い気がする。

後先考えず行動する癖に、保守的というか、その時になって前に進めるわけじゃなくただ立ち止まる。

最悪だ。